「受賞作発表」が、11月24日(日)に高台寺利生堂で行われました。
受賞作を紹介いたします。
ご自身のことば、聞いたことば、親が遺してくれたことばなど
いつまでも大切にしたい、心に染みこんでいる
あなたの「コトバ」を言の葉に、歌に、あらわしてください。
北政所ねね様四百年遠忌の記念行事として、昨年に引き続きまして二回目の「臨終のことば」「辞世の歌」を募集致しました。
昨年は初めての試みにもかかわらず、多くのご応募をいただきました。
今回も「臨終のことば」七十五首、「辞世の歌」百十七首と多くのご応募をいただきました。昨年にもまして優秀な作品が多く、選考するのが大変だったと聞いております。
死にあたり、その人自身の死生観、人生観から出てくることば、心に残ることばに多くの方が関心を持っておられるのだと感じております。
ご応募をいただきました皆様、並びにご協力くださいました選者の皆様、関係者の皆様には心より感謝御礼申し上げます。
高台寺 執事長 奥村 紹仲
まずは、応募していただきました皆様に感謝申し上げます。
自分の臨終を考えるのは、必要と思いつつ、まだ大丈夫...との気持ちが交錯します。
日々の生活の中で、最も残したい言葉は何か?
昨年は「ありがとう」が非常に多く、皆、同じ思いだなと感じました。今年は、少し範囲が広がったような感想を持ちます。
今の生活を、思い残すことなく、存分に生きていきましょう。
高台寺 事務長 田中 敬子
「辞世の歌」募集は今年二年目を迎えました。最初は珍しい企画と受け止められたでしょうが、今年は幾らか落ち着いた感じで進められました。その反面、昨年はおもしろそうと比較的気軽に挑戦した人も、受賞作品集を見て難しさを感じたのか、今回の応募数が二百首程度と伸び悩んだのは少し残念でした。
応募された歌については、題材や表現の更なる深まりを感じました。多くの読者に訴え得る作品を、との意識が働いた結果でしょう。生と死はこのようなものという諦観、自己の具体的な人生体験、あるいは切実な期待などの融合した歌が数多く見られ、また受賞作となりました。中にはかなり奔放に詠まれたものもありましたが、率直な心の在りようとして評価したいと思います。
この作品集を目にし、生きてゆく上での示唆を得る人があれば何よりの幸いです。次回は三年計画で始まった当作品募集の総仕上げの機会になります。質的にも量的にも豊かな収穫が得られるよう願っています。
京都歌人協会会長・日本歌人クラブ近畿ブロック長 田中 成彦
最優秀賞
うろたえて
今際の妻にありがとう
いえざりしこと今に口惜しき
京都府京都市 小谷悦崇
選 評
生きていく中で、口惜しいと思う出来事には多く遭遇します。そこは心に抱いたまま、生活していくことになります。
ただ、このような思いは必要なことなのではないでしょうか?
何かを抱いていると、他の人にやさしくなれる...そんな気のする作品です。
共感を呼び、審査員の票が集まりました。
「臨終のことば」 部門 選考委員会
優秀賞
俺が俺がの「が」を捨てて、
御陰御陰の「げ」で暮らせ
滋賀県東近江市 琵琶ちゃん
選 評
ひと昔前は、このような苦言を下さるお年寄りが、たくさんいらしたように思います。
現在の経済事情か、人より我が身を守ることに力が必要になってきたのでしょう。久しぶりに聞くことばでした。それだけに、心にしみます。
「ココロにキク、コトバのチカラ」です。
「臨終のことば」 部門 選考委員会
受賞にあたって
誰でも、父母からもらった忘れがたい言葉を持っていると思います。その言葉に教えられ、励まされ、導かれ、守られてきたのではないでしょうか。
今、父母のその一言が、「私に」かけられた「願い」だと気が付きました。真珠のように光を放って、その言葉に父母の情愛をしみじみ感じます。
私の母は平成二十年十月に享年八十六歳でこの世を去りましたが、受賞作は母が亡くなるまで口癖のように私に言っていた言葉です。
長い年月の間にはどうしても自分での判断に困り、気持ちの落ち着かない時がある。その時、母が教えてくれたこの言葉を思います。私の背をさすってくれている気がします。
一寸待て、どこかで母の声がする
入選
逆縁の吾子との再会 旅路軽やか
大阪府交野市 渡邉多加子
いつの日も見守りくれし父母の辺に
寄りそいてゆく心安けし
愛知県岡崎市 川合典子
岐路に立ち悩むあなたを見つけたら、
風になって耳元で囁いてあげるから
私を想い耳を澄ませて。
愛媛県松山市 園部 淳
「ありがとう」そして「さよなら」
これだけは必ず言いたし
旅立つときに
奈良県天理市 川北昭代
佳作
人の死とは最期のひと息、
最期まで生きるということ。
これは今死にゆく母が
あなたに見せる最後の教えです。
京都府乙訓郡 戸川森葉
金の草鞋で捜していると、
兄が紹介してくれた。運命だった。
北海道札幌市 藤林正則
人生は未完成まもなく完成
涅槃にて
兵庫県三田市 奥谷 昇
秀吉公賞
脚本の無き人生に
演出も照明も無く
テーマだけ有る
愛媛県松山市 秋本 哲
選 評
一見「人生とは筋書きのないドラマだ」という常套句を思い起こすが、それとは趣が違うように思う。
もし神や仏が個々人の一生を脚本のように予め定めているとしたら、人間はその単なる演者に過ぎないが、そうとは思いたくない。時に助言をする人があっても演出家のような権限は持たないし、自分が光を浴びるのも闇の中をさ迷うのも、誰か特定の係が操作しているからではない。
しかしながら「このように生きてゆきたい」あるいは「このように生きるのが本来だ」という課題は、自身が真対うなり背負うなり、決して免れることのできないものである。
この受賞作、一首中に用いる多くの語句を演劇に関係させつつ、最終的に人生の要諦一点に収斂してゆく詠み方はまことに秀逸と言ってよい。殊に「無き」「無く」の語を繰り返した上で、結句を「だけ有る」という形で終え、いかにも現実に立ち返った感を与えることに注目した。
「辞世の歌」 部門 選考委員会
受賞にあたって
日本史に興味があり、様々な人物の辞世の歌を目にしてきました。死を前に多くの思いがあるはずなのに、其を三十一文字で「さらり」と詠んでいることに感銘を受けます。
平均寿命の延びた現代の、若干五十四歳の私に置き換えるとどうなるのか? そんな好奇心を抱いたのが応募のきっかけです。
このテーマを現代風にアレンジすることに背徳感を覚えつつ、現時点における辞世を詠んでみました。結句で「テーマだけある」と詠いながらも、私自身は未だ基調を模索している未熟者です。
受賞を励みに、人生も作歌もさらなる精進を重ねていきたいと心に決めました。
この作品が少しでも多くの方に共感していただければ幸いです。ありがとうございました。
ねねさん賞
華散らし
葉も落ち尽し冬に入る
裸木のわれは愛を遺さん
神奈川県川崎市 高橋嬉文
選 評
第四句までの表現は、もちろん作者自身が老境あるいは晩年を迎えたという意図である。用いられた三個の動詞「散らし」「落ち尽し」「入る」が何れも極めて寂しく、畳みかけるような印象を与え、そこには人生の展開と収束が巧みに詠み込まれている。花と葉の扱いでは他動詞・自動詞が混在しているが「し」を重ねる音韻効果のほうを優先したと考えて良かろう。
「入る」は連体形として「裸木」に掛かるのか、それとも終止形として一旦四句で切れるのかも興味深い。意味だけ追うと前者のように見えるが、語調としては一呼吸置いた上で述懐する後者と解するのが味わいのある詠み方、かつ読み方と言える。作者自身をあらためて「裸木」に例えることにより、読者は「愛」という言葉を安易に受け流すわけにゆかなくなる。この「愛」は特定の相手に対するものというより、もっと普遍的な人間観に基づくものと評価したい。
「臨終のことば」 部門 選考委員会
受賞にあたって
この度はねねさん賞を賜り誠に有難うございました。望外の受賞にて嬉しく光栄に存じます。
八十六歳の今、速く歩いているつもりが小さな子供達に追い抜かれ、身の衰えを実感いたします。
樹木は幾たびも春が来て花開きますが、人生はそうはいきません。辞世の歌を詠むことは、来し方を顧み、旅立ち迄の日々を如何に生きるかを決める事のように思いました。
京都にまいりますと歴史の重みを感じますが、この度は戦乱の世を苦労して立派に生き抜かれた寧々様が四百年の時を経て、後ろにそっと寄り添っておられる様な感覚を覚えました。
これを励みにこれからは言葉の一つ一つに磨きをかけて励んで参りたいと存じます。
入選
人生の
最期に力振り絞り
光を放つ線香花火
佐賀県佐賀市 東家芳寛
秋の夜に
ふと思ふかな忘れもの
落としものあり わが来し道に
千葉県千葉市 土屋昌也
荒波に
揉まれし航路もたのしかり
一生の旅の碇を下ろす
東京都練馬区 新美喜代男
未練なく
わが生ここに閉じたきに
あと一年の命あらまし
東京都世田谷区 中野 響
荷を置きて
いづれと思ふ一眠り
恋しきひとに逢ふを夢見て
熊本県熊本市 木毎
きっぱりと
憂き世を離れ西へ行き
亡き父母、兄と会ふぞ嬉しき
新潟県長岡市 柳村光寛
また会える
あの日の君と今日の僕
君より深い皺を笑って
京都府京都市 射手座の女
今の俺
心は満月 身は月夜
少しずつ欠ける人生の終
京都府木津川市 西岡勝裕
一生に一度の
経験積み重ね
最後に己のデスマスク見む
北海道札幌市 藤林正則
心のうちを
衣替えなく生きゆかん
ベストカップルと白寿めざして
京都府京都市 髙田利一
夭折の
ジェームズ・ディーンは名を残し
傘寿のわれは小さき歌集を
京都府京都市 池田正子
平凡で
こんな時すら普通だわ
なんにも浮かばないんだもの
福島県郡山市 六花
大空の
青緑の山に架かる虹
見納めて逝くこの世の色を
京都府京都市 福井千津
これの世に
われ産ましめし神はあり
何をなせとや何を残さむ
京都府木津川市 中尾町子
明日こそ
やろうと思い生きてきて
一日足りずこの期に及ぶ
愛媛県松山市 園部 淳
しがらみの
多き浮世を渡り来て
来世は送る放埓の日々
京都府宇治市 濱丘 学
2024年度「臨終のことば」「辞世の歌」 選考委員会
「臨終のことば」部門
高台寺 執事長
奥 村 紹 仲
ねね様四百年遠忌実行委員長
後 藤 典 生
高台寺 顧問
川 本 博 明
高台寺 副執事
青 山 公 胤
高台寺 事務長
田 中 敬 子
「辞世の歌」部門
京都歌人協会会長・日本歌人クラブ近畿ブロック長
田 中 成 彦
京都歌人協会会員
西 谷 和 子
京阪奈短歌会会員
井 上 美 香
受賞にあたって
今も胸をよぎる思いを遺影に話しかけています。
私は二年前に妻を癌で亡くしました。この応募作はその四十九日にお悔やみに来てくださった方々とお話ししていて思い出したことを詠んだものです。
余命三か月と告げられ今後どうするか話し合った時は、すでに尊厳死による延命治療・処置は行わない宣言書を主治医に提出しており、妻は「この家で最後まで過ごしたい」と希望しました。約三十年住み慣れた家は、二人で家屋の設計図を建設会社へ伝え、希望を取り入れていただいて建てた家です。
最後を迎えた時、私は動顛してしまい「ありがとう」とはっきり伝えることができませんでした。今も悔やまれます。しかし、しっかり手を握った、その感触ははっきりと残っているので、感謝の気持ちは伝わったかなとも思い、日々を送っています。今あらためて「ありがとう」です。