展示案内
- 休館日
- 12月24日(火)〜27日(金)
- 開館時間
- 通常期 9:00開館 ~ 17:10閉館
夜間特別拝観期 9:00開館 ~ 21:10閉館
◆ 展示中
北政所ねね様四百年遠忌記念
「似心」木下延由の心は誰に似る?
—国松伝説を背負った男の愛刀、京へのぼる—
◆ 期間 2024年10月25日(金)~ 2024年12月23日(月)
慶長20年(1615) 大坂夏の陣、豊臣秀頼は自軍の敗戦を受け入れ燃え盛る大坂城にて生母の淀殿とともに自刃しました。この時、高台院ねねは高台寺の時雨亭の二階から、大坂城上空が赤く染まるのを見つめていたともいいます。大坂城落城後、秀頼の子・国松は京都で捕縛され、六条河原で処刑されました。処刑時、国松はわずか6歳でした。 これが天下人・豊臣秀吉が低い身分から糟糠の妻・ねねと築き上げた「豊臣」の終焉として知られる歴史の物語です。
しかし、大坂夏の陣に、豊臣の“続き”の物語があったとしたら…?
2020年、一振の刀が発見されました。銘により豊後国立石領初代領主・木下延由が所持していたことがわかりました。延由については資料が乏しく、その実像については不明な点が多くありました。なによりも延由には自身の素性に関わる最大の謎がありました。「国松伝説」として知られるその謎は延由が大坂夏の陣後、六条河原で処刑されたはずの秀頼の子・国松だというものでした。
優れた名工の手による大名道具にふさわしい延由の刀には持ち主の名前のほかに「似心」という文字が切られています。似心 - 似せる心、とも理解できるこの言葉の表すところは不明ですが、国松伝説の当事者である延由が持つことに大きな意味があるのは間違いないようです。
はたして延由は豊臣国松なのか?
2024年、大坂夏の陣からおよそ410年、国松にとっては祖母に、延由にとっては大叔母にあたるねねの没後400年を機に、国松伝説を背負った男の愛刀が京へのぼります。
◆ 主な展示品
- 小太刀 銘「似心 木下氏延由所持」
(個人蔵 大分県日出町教育委員会寄託) 桃山時代〜江戸時代初期 - 印章「豊臣」(大分県日出町教育委員会所蔵)
- 木下勝俊所用 巴形薙刀 桃山時代〜江戸時代中期
- 木下勝俊所用 静形薙刀 南北朝時代
- 豊臣秀吉像 弓箴善疆賛 慶長6年(1601)
- 高台院像 桃山時代 ほか
高台寺掌美術館
〒605-0825
京都市東山区高台寺下河原町530 京・洛市「ねね」2階